やまだみのる
やまだみのる
句会と言えば、「当季雑詠」というのが一般的です。当季雑詠というのは今の季節の事象であれば何を詠んでもよい、 つまり自由題ということです。
一方、あらかじめ詠む季題やテーマが決めてある場合は、兼題といって句会に先立って発表された季語やテーマを詠み込んで句を作ります。 一般的な句会ではあまり行われません。
兼題句を詠むのは初心者にはやや難しいですが即興性とか機知とかといった作者の個性が表れやすいのでとても面白くストレス解消にもなります。
兼題句は頭で考えて作るのではなく、過去の吟行体験、経験などあまたの記憶を呼び起こしながら吟行とおなじ頭に切り換えて想をめぐらします。
記憶の一杯つまった池の中から目的のものをつり上げる、、、といった感じでしょうか。 記憶の池というのは淀んでいてはっきりとは見えませんが、雑念を払って集中していると見えないものが見えて来るんです。 この精神集中の方法は、吟行で句を作るときも同じです。
阿波野青畝先生は、90歳を越えられてからは健康のこともあってあまり吟行には出かけられませんでしたが、 かえって、素晴らしい作品をどんどん発表されて、俳諧を驚かせられました。 そのことを、先生にお聞きしたら、「昔の記憶を呼び起こして作るんだ・・」と、おっしゃったそうです。
ことば巧みに虚構の句をつくるという手法には必ず限界があります。そうした俳句や作り方を好む世界もなくはないし、その存在を否定するつもりはありませんが、少なくとも、ゴスペル俳句とは別の世界です。
(2002年7月13日)