2023年7月の日記

2023年7月28日

ことばの力

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初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

これは新約聖書ヨハネの福音書の冒頭の記述です。

神学的な解釈は別として、ことばには命があり力がある…ということではないでしょうか。

ことばは、人の心に働いて、慰めや励ましを与え、生きる力に変えられる。

これが詩歌の本分だと言えます。俳句作品に命を吹き込むために最も大事なのは写生術。生き生きとした一幅の絵として見えてくるように具体的に表現することが求められます。

具体的に写生したくても文字数に制限がある俳句では限界があります。そのために措辞の力を借りて省略し、焦点を絞って読者の連想に委ねるという推敲のテクニックが求められるのです。

措辞の学び方

「措辞」(文章や詩歌の言葉づかい)は、単語や述語として丸暗記するのではなく、どんな状況下で使うのかというフィーリングとともに覚えないと実際には使えません。そのために先人の句を鑑賞して、そこで見出した措辞を自分のものとして記憶の引き出しに溜めておいて活用するのです。

"このことば面白いな…"、"この言い回し新鮮だな…"

と感じることは多いですよね。その雰囲気を覚えておいて自分の作品に活用するのです。

自分は語彙が乏しいので佳句が詠めない…

と諦めたり謙遜する人が多いですが、はっきりいって努力が足りないだけです。 選句や句の鑑賞を疎かにする人は、いつまでたっても自分の語彙の範疇でしか詠めないからです。

具体例

具体的な例を示しておきましょう。

手花火のこれからといふ玉落つる みのる

この句は紫峡先生の句「春宵のこれからという人出かな」から「これからといふ」という措辞を拝借しました。

神杉の全長仰ぐ天高し みのる

この句は品女さんの「七輪に全長乗らぬ秋刀魚かな」から「全長」ということばをいただきました。

大事なのは、想を真似るのではなく措辞(文章や詩歌の言葉づかい)を真似る のです。

2023年7月22日

クマゼミ異常発生

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梅雨明けが宣言された途端、みのる庵の庭では毎朝数十匹の熊蝉が大合唱を始める。それは調べ…というような風流ではなくて騒音だ。庭を歩くたびにおしっこをかけられるのはたまったものではない。

私の少年時代、熊蝉は数が少なく滅多めったに捕ることができない「蝉の王様」だった。友達と交換する場合、熊蝉1匹の価値は、油蝉8匹と等価であった。 ところが今やその価値観は完全に逆転してしまった。

この現象は特に都会エリアで顕著に発生しているようで山間部では町中ほど極端ではないようだ。

いろいろと調査実験をした人がおられる。

結論としては、地球温暖化によるヒートアイランド現象の結果だということみたい。

そのむかし、日本列島のほとんどが温帯に属していると習った。冬の気温が低くなる北海道は冷帯気候で、琉球諸島や小笠原諸島などの地域は亜熱帯気候であるとも教えられた。

思うに日常化した昨今の異常気象や災害の多発は、地球温暖化によって温帯はすでに消滅し、大半が亜熱帯化したのではないだろうか。

このままでは、かつて地球上を席巻していた恐竜が絶滅したように人もまた地球上では生き延びれなくなる日がくるかも知れない。いまこそ全世界が協力して知恵を絞り実行して早急にこの課題解決に取り組む必要があると思う。

愚かな戦争などしている場合ではないのだ。

2023年7月19日

北山緑化植物園吟行記

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昨日の GH定例句会は午前中6人のメンバーで西宮市北山緑化植物園を吟行しました。

殺人的な猛暑…という予報もあったので、公園内へは入らずバス停の横から紫陽花の小径を沢へ下りそこをベースにして小一時間過ごしました。

意外と知られていないスポットで立ち入る人も少なく原生林のような風情を醸しています。楓のほか高木の梢が天蓋をなしていてとても涼しく、澄んだ沢水が心地よい涼風を通わせています。

渓流へわくらば紅を散らしたる   うつぎ

くちなはのごとき根方や樹下涼し  わかば

グリンシャワー存分に浴び避暑散歩 せいじ

大小の瀬石に堰かれた渓水が四十八滝の様相を見せていてそれらの水音が和するように響いて涼しさをいや増してくれます。

渓流の大滝小滝楽涼し       うつぎ

堰く岩に七折れ八折れ渓涼し    みのる

涼しくて湿潤な水辺には、この時期だというのに瑞々しい紫陽花の花や梅雨茸まで残っていました。

たたら踏むこんなところに梅雨茸  よう子

濃紫陽花渓の水辺を明るうす    小袖

猛暑の中でしたが目高の子や瑠璃蜥蜴の子などとの一会もあり愉しい吟行でした。

かぞへ難し清流に透く目高の子   うつぎ

瑠璃の尾をひるがへし消ゆ蜥蜴かな みのる

2023年7月17日

俳句雑感

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今日は、みのるが考えている俳句感について少しおしゃべりしてみます。

俳句づけの日々、箸休めとして気軽にお読みください。

俳句のルーツ

俳句のルーツを探るには、[ 連句 ] を知る必要がありますが私の専門ではないので端折ります。興味のある方はリンク先のページを開いてみてください。

連句の最初の五七五の句を「発句」と呼びます。 発句には連句が作られる季節を示す季語が必要とされます。 発句の独立したものが「俳句」になったと言われていますが、俳句で季語が必要とされるのはこの発句の規則を受け継いでいるからなのでしょう。

また発句は、挨拶句としての位置づけもあったのではと思います。俳句で言うところの慶弔句、存問句などはこの挨拶句の派生だと私は考えています。

さて、俳句は短詩としての一ジャンルですから、本来は叙情や主観を内包した韻文だといえます。 ところが の場合、客観写生を強調しているので矛盾ではないのかと言われそうですね。

私も初学時代には大いに葛藤がありました。

主観というのはストレートに表現するのではなくて、「客観写生というオブラートで主観を包み隠す」ことが最も大事なので、初学うちにその訓練として「主観を封印して客観写生に励む」ことが将来の大成に必須。

だと諭されて努力しましたが、忍耐と時間が必要なので言うは易し為すは難しです…

主観句

散る桜残る桜も散る桜 (良寛和尚)

良寛和尚の辞世の句と言われているものです。あたり前の理屈を詠んだようにも取れますが、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておきなさいよ。」という諭し、要するに限られた「いのち」の儚さを詠んだものだとされています。

満面に汗して報い求めざる (阿波野青畝)

敬虔なカソリック信者であられた先生のお人柄は、まさにこの一句に象徴されています。 精神の原点でもあるのです。

"鏡とすその人となり墓洗ふ みのる"

客観写生句

春の海終日のたりのたりかな (与謝蕪村)

この句は、丹後与謝の海を詠んだともいわれていますが、一読まどろむような春の海の情景がたちまち現れてきます。光溢れた印象派の風景画を見るように平明で親しみやすい、そんな叙景性が蕪村の句の特徴であり魅力でもあります。どちらかといえば主観的な芭蕉の句に対して、蕪村の句はあくまで写実的で客観的です。

でも、瞬間写生を特訓された私としては、「この句、一日中(終日)海を眺めて詠んだの?」と意地悪な疑問が湧いてきたりもします。

古池や蛙飛びこむ水の音 (松尾芭蕉)

誰でも知る俳句中の俳句でありながら、人類最高の秀句であるという評価から、いや駄作に過ぎないというのまで、その評価はさまざま諸説紛紛です。詮索をすればするほど、解説を加えれば加えるほど句影の消えていく名句ですね。

挨拶句

かたつぶり角振り分けよ須磨明石 (松尾芭蕉)

『源氏物語・須磨の巻』に「あかしの浦ははひわたるほどなれば云々…」すなわち須磨と明石の間は這って渡れる程に近い距離だという記述があります。

この句は、『笈の小文』の終点須磨・明石にて、この本歌を踏まえて詠まれた芭蕉翁の挨拶句なのです。

「須磨と明石が "這いわたる" ほどの距離であれば、お前の角で片方は須磨、もう一方は明石を指し示してみよ」という意味で、芭蕉独特の滑稽を醸しています。

これよりは恋や事業や水温む (高濱虚子)

東京高等商業学校(現一橋大学)の卒業生へ送った祝福の贈答句。 夢を抱いて世の中に出て行く卒業生たちに、「世の中は厳しいぞ」などという俗なことは言わずに、虚子は希望に満ちた青年たちの心に喝采を送っているのです。

「水温む」という季語が、なんとも優しく彼らを包み込んでいます。内容は実に平明ですが、「水温む」と言えばこの句を思い出すほどの代表的な句なのです。

宮涼し双子並びに力石 (せいじ)

さきの能勢グループ主催の池田吟行で、畑天満宮の力石を詠まれたせいじさんの句です。高島教授から早々に句集掲載にとリクエストがあったそうです。

力石の句というのは、ある意味で挨拶句だと思うのです。季感云々ということよりも、どこの力石なのかがわかるように詠んであげることこそがその力石に対する存問だと思うからです。

ゴスペル俳句

毛虫落ちて這い出すほうが頭かな (作者不詳)

これが俳句?と言われそうな作品ですが、みのるが写生俳句の原点としている大好きな作品です。 言われてみればあたり前なんですが、これこそが発見であり「コロンブスの卵」だと言えます。

寝転べば地球が回るいわし雲 (みのる)

この句は、結社で巻頭を得たというような作品ではないのですが、ゴスペル俳句という意味では、みのるの代表作として位置づけたいです。

なぜなら、大自然の営みを通して万物の創造者でありその命を守り育んでくださる神の摂理に気づくこと、そしてそのことに感動し、喜び、賛美することこそがゴスペル俳句だと信じるからです。

残念ながら現在の俳諧に「ゴスペル俳句」という分類はありません。けれども、「 俳句への学術的アプローチ 」という小論文のなかで学者が着目して頂いているようなのです。

論文中の「4. 俳句を対象とした感性モデルの構築」という項目に九州大学の吉田香教授が言及されています。叶うならばこの 精神が多くの人に認識され、いつまでも継承されていくようにと祈っています。

/// おしまい ///

2023年7月9日

激励に奮起

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池田吟行は久しぶりによく歩き、よくおしゃべりできて愉しい一日でした。やっぱり吟行は元気をもらえます。

こころ許せるメンバーばかりだったので、行厨のときに「昨今は思うようなサイト運営にならない、できない…」とつい本音を洩らしてしまった。

すると間髪を入れずに「みのるさん自身がそんな弱気では困ります!」と気合の声が飛んだ。

「然り!」と反省、たしかに管理人であるみのる自身の弱気がそうさせている要因だと気付かされました。

がんばります。

2023年7月7日

池田吟行

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昨日は梅雨の晴れ間に恵まれ能勢グループの案内で池田の名所(畑天満宮、池田城址公園、逸翁美術館)を吟行しました。汗を拭き拭き、熱中症予防の水分補給をしながらの吟行でしたがみな老骨に鞭打って頑張りました。

推敲して来週の吟行句会に投句する予定だったのですが同行メンバーの皆さんに多作多作と吹聴したので範を示すべく急遽近詠にアップしました。作品の良し悪しは別として見たこと感じたことをこつこつと句帳に書き記すとこんな感じ…ということを実感していただけたら嬉しいです。

  • みのるの近詠:池田吟行の句帳から

    PS:吟行参加者にはお話したのですが、吟行中は道も磴もゆっくりと歩き、ゆっくりと登れと先輩から教わりました。左向き、右向き、振り向き、俯き、またときには立ち止まりながら八方に五感のアンテナを張って句を拾うのだと。同伴メンバーとのお喋りを通してヒントを授かることも多いが、アンテナだけはずっと張り続けることが大事だ…とも。

    移動中の電車窓、バス窓から句が拾えるチャンスも多いので居眠りしてはいけません。疲れると五感や右脳の働きが鈍くなるので適当な糖分補給、水分補給はとても大事です。その意味でも飴玉は大切な吟行の活力源です。

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