こんにちは、やまだみのるです。
合評は、正しい俳句鑑賞の学びをするのにとても効果的です。特に難しいルールはないのですが、基本的には共同作業なので座の雰囲気や調和を乱さないようにお互いが配慮することも大切なことです。
今回は Webページの合評に鑑賞文を書き込むというケースについて纏めてみました。オフラインでの合評も基本精神は同じです。趣旨をご理解いただいてぜひ積極的に参加ご協力くださいますようお願いいたします。
合評への書き込みは、会員であればどなたでもご自由に参加できます。 ただし、以下のルールを守ってください。
誰かがまず最初に作品を選んで、その鑑賞文を書き込みます。 そして、その作品についての鑑賞文を他の人が次々と書いていくのです。 具体的には、 今日の一句の合評(青畝俳句研究) の記事を参考にしていただくと分かりやすいと思います。
要するに、最初の人がタイトルを発起して書きこみ、二番目以降の人はコメントとして書き込んでいきます。 別の作品を鑑賞する場合は、当然新しいタイトルを起こします。
合評記事は、参加者による共同作品です。 自分の意見を強く主張し、他の意見を否定するような発信はマナーに反します。 特定の二人が互いの意見をラリーして掲示板を占領し、議論することも同様です。
また、鑑賞文の域を越えて、長々と自説を展開される方がありますが、 これも感心できません。「解説」ではなく「鑑賞」であることをわきまえてください。
鑑賞者に対して、作者がお礼を述べることも原則として控えてください。 どうしてもお礼を言いたいときは、談話室へ書き込むか、みんなのプロフィールのメール機能などを利用されるといいでしょう。
回りくどい説明よりも、 今日の一句の合評(青畝俳句研究) の記事を参考にしていただくのが最適と思います。
基本は、自分が良いと思った表現、言葉、などをあげて、具体的に鑑賞することです。
”なんとなく好き" とか ”具体的には説明できないがどこか共感できる”
と言うのでは、鑑賞にはなりませんし、勉強にもなりません。 要点を的確に、省略の効いた文章で表現することが鑑賞文では大切です。 文章もまた俳句と同様ですね。
時々ですが、作品に対して批判的な鑑賞をされる方があります。
”誉めあうだけではなくて、短所を指摘して論じることも学びとしては大切”
という主張もありますが、GHではこれを禁じています。 知識さえあれば誰でも容易に欠点を指摘することができます。 けれども、良いところを見抜く力は感性と鑑賞力との積み重ねなのです。
これはいけない、それは駄目というような知識を詰め込んでも作句の弊害になるだけです。 それよりも、作品の良いところをしっかり吸収して、自分の物にしていくことが大切なのです。 合評掲示板の目的はそこにあることを覚えてください。
記事の展開に応じて必要と感じたときは、みのるも書き込みします。 この合評記事が、青畝俳句研究と同様に GHのバイブルとして遺されることを祈っています。
感想やお問合せはお気軽にどうぞ。