みのる:コスモスは秋の風物詩ですが、基本一年草なので土を耕し種を蒔かなければ浄土ほどの規模には咲きません。なので過疎化というよりは減反を余儀なくされた休耕田でないかと思う。雑草がはびこらないように、あるいは村おこしの一環としてコスモス畑を管理しているのでないかと思う。むかしはこの時期には豊の秋が展けていたのに様変わりした故郷の景にときの移り変わりを感じているのでしょう。

澄子:「コスモス浄土」という言葉より 秋桜が今を盛りと美しく風に揺らぐ景が浮かびました。秋風のそよぐ音も聞こえてくるようです。旅愁 郷愁そんな感覚です。母方の父祖の地をお尋ねになられ駅に降りたった時、あるいはバスから降りられたとき、かつてお家があった辺りや土手、空き地等いたるところに 作者の帰郷を歓迎するかのように秋桜が揺れていたのでしょう…………祖父母が御存命な折はよく訪ねられたのでしょう。子供時代を懐かしく思い出されている作者の胸中を想いました。

康子:リズムよく流れるような響きの句です。暑い夏も過ぎ心地よく涼しい風が吹く頃、久しぶりに母の故郷を訪れた。一面のコスモスが風に揺れ美しい姿で迎えてくれた。お墓参りでしょうか「母の故郷ってこんなに綺麗な所なの」「この時期に来ればこんなに素晴らしい景色に会えるの」という作者の声が聞こえてきそうです。それも「浄土」の措辞の効果かもしれません。温かさを感じる句でした。

かえる:コスモスは可憐で繊細そうな見た目とは違い、丈夫で繁殖力が旺盛な花です。人の手の入らなくなった休耕の畠など、あっという間に埋め尽くしてしまうかもしれません。お母さんのお里は、高齢化で畠仕舞いする人が続出で、コスモスが勢力を拡大している。そんな光景を想像しました。一面にコスモスの揺れる様は浄土と称したくなるほど美しいものの、久しぶりに訪ねたお里は、思い出の中のものとは違うものになってしまった。そんな寂しさも漂い、秋の気配が濃厚に感じられます。

むべ:コスモスの季節なので、秋のお彼岸に墓参をかねて作者はお母様の郷里を訪ねたのでしょうか。作者にとっても幼少期の思い出のある土地だったかもしれません。なんとなく久しぶりの訪問なのかなと感じました。眼前に広がる一面のコスモスが、日差しを浴び風に揺れている様子は、清らかで、この世のものとは思えない美しさだったことと思います。思いがけない邂逅に、作者は静かな感動を覚えたのでしょう。余韻の深い御句ですね。