理屈の弊害

やまだみのる

初心者への添削指導は、その指導者によってそれぞれの考え方があるので、 方法もまたいろいろです。

勿論、指導者は自分の方法が最適と信じて疑わないのですが、 どれが正しくて、どれが間違いとは言えないと思います。 大切なことは、その指導者によって導かれた人々が、順調に上達しているかどうかと言うことではないかと思う。 俳風や俳句理論の優れた作者が、指導者として優れているかどうかは別物・・と先生が仰ったことがあるが、 その通りと思う。

添削内容や没句になった理由について、こと細かく、説明される指導者もおられます。 学ぶ側では、理路整然と説明を受けると、「なるほど・・」と納得し、 ひとつ賢くなったように錯覚します。 ところが、こうして蓄積された理屈は、吟行中も頭の中を巡るので、心を無にして自然に対することが出来なくなるのです。

ときどき、添削指導に対する不満のメールが届きます。 ゴスペル俳句におけるわたしの添削法が正しいか否かは、自信ありません。 わたしも学んでいる途中に何度も疑問にぶつかりました。 でも、先生を信じて黙々とついていきました。 わたしは、先生に教えていただいた手法を正しいと信じています。

以前にも書きましたが、野見山朱鳥という俳人が著書の中で興味ある一文を記していたので再掲しておきます。

関東の優秀な俳人で村上鬼城という人がいた。
ときに関西にきて句会の指導をよくしたが、席上鬼城は選外となった作品の欠点について詳細に解説するのが常であった。
その論があまりに的確であったので座の人々からため息が漏れるほどで、それを機に鬼上に教えを乞う人が沢山出た。

一方高浜虚子先生の場合は入選した作品の良いところを指摘して誉められるだけであった。
かくして虚子先生の弟子からは雲の湧くごとく次々と優秀な俳人が出たが、鬼城からは一人の俳人も生まれなかった。

欠点を指摘されても、それを気にして臆病になるだけで上達はせず、誉められればだんだん自信をつけて成長に結びつく。
これは子育ての原理と同じである。

欠点や弱点は案外自覚しているものだが、長所はというと本人には見えていないことが多い。虚子先生はこの原理がよく解っておられたのだと思う。

(2002年7月7日)


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