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季語を扱う上で注意することがいくつかあります。
ほかにもありますが基本的なことは4点です。折々説明しますが、今日は「説明」と「憑きすぎ」について書いてみました。
”石鎚や青々として梅雨明ける ひこ”
これは、ひこさんといって、以前にわたしが指導していた方の初作です。山が青々として見えて、ようやく梅雨が明けたんだなぁ・・というのが句意ですが、これは○○だから△△だ、という季語の説明になります。
元来「季語」は説明しなくても歴史的意味を持っています。俳句という芸術の伝統が年月を経てそれを育ててきたわけです。季語という約束があるので、わずか十七字でも深い深い味が出せるのです。
「季語が憑き過ぎる」というのは一言で説明しにくいですが、採用した季語が一句の構成の中であまりにお膳立てが整いすぎている場合をいいます。虚構や観念的に詠まれた俳句の多くは憑き過ぎの句が多いです。作った本人は自分の句に酔ってしまうので判らないのですが他人が鑑賞するとすぐ判ります。
高度なテクニックですが「出来るだけ季語を離す」ことが佳句の条件です。
離れすぎて「季語が動く」のは勿論よくないのですが、「つかずはなれず」のぎりぎりが最も良いわけです。 もちろん句を作っているときにそんな事を考えている余裕はありませんから、作った後で作品を推敲し、 「季語が動かないか?」「憑きすぎていないか」「もっと適切な季語はないか」 などをチェックするのです。 初心のあいだはその自分で推敲するのが難しいので添削指導でお手伝いしているわけです。
拙作で恐縮ですが次の作品を鑑賞してみてください。
「温泉」は「ゆ」と読みます。 草紅葉の説明は一切していません。しかし一句全体で見た場合、「草紅葉」という季語はとてもよく効いているのです。
初心のうちはまず季語を覚えることが必須です。しかし次なるステップは、その季語のもつ本質を研究して的確に用いることが上達のキーポイントです。
(2000年07月07日)
(C)2000-2008 やまだみのる
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