みのる:御苑は皇室の庭園として造られたものをいいますが、戦後は国民公園となって多くの人々に親しまれているところもあります。一水というのは曲水の宴などをするために設けられた曲がりくねって流れる小川のことではないかと思う。桜目当ての人出もおさまり花は葉に、落ち着きを取り戻した苑内を水辺沿いにそぞろ歩きしながら行く春を惜しんでいるのである。

えいいち:上五中七に情景の描写をなくした「一水に沿ひて」が作者自身を体現しているように感じます。そこに季語が寄り添い読む者に強く響いてきます。とても奥の深い句だと思います。

康子:「一水」とは湧水などの細い川をイメージします。雪解け水を含んで勢いを増していた水の流れは落ち着きを取り戻し静かな川に。苔は青々と、そして水草や川べりの草も生い茂っているのでしょう。梅や桜のシーズンも過ぎ夏の花が咲き若葉が茂っている。春は別れの季節でもあります。例えばお子様が巣立って行った…など、明るい水辺を作者はどんな想いで川べりを歩いていたのか…と余韻の残る句でした。

澄子:これ以上削ぎ落とせないほど簡潔な表現ですが 一瞬を切り取るというより 小川のほとりの歩みと共に様々な景の流れや重なりが感じられ時間を感じる句だと思いました。万物が瑞々しく美しく輝く季節を満喫しながら 例えば ほんのすこし前まではほんの小さな蕾だったのにあっという間に満開となった 水鳥の雛は一羽も欠けず随分大きくなった……等々 春にまつわる諸々の思いに耽りながら川辺の小径を辿る作者の姿を思い浮かべました。囀りや潺 若葉のざわめき 本当は音が溢れているけど静かな句だと思いました。 

かえる:私も御苑といえば新宿御苑を浮かべてしまいますが、この句はおそらく京都御苑を詠まれているのではと思いました。枝垂れ桜が大変有名なようで、小川が満開の枝垂れ桜の水鏡となっている画像を拝見し、これは確かに春惜しむだなあと。ソメイヨシノの群れも大変美しいですが、多種の桜がバトンタッチするように咲き継いでいくのも、なんとも儚く、悲しいような美しさを感じます。

むべ:御苑と聞くとつい新宿御苑をイメージしてしまいますが、京都御苑でしょうか。インターネットで苑内マップを見たところ、「出水の小川」という遣水が流れているようです。美しい京都御所を訪れた作者は、遣水沿いに歩きながら、御苑の梅や桜も終わり、春が行くのを実感しているのだと思います。惜春の心持ちがよく伝わってきます。白居易の「送春」のように、春という季節を送る心は、親しい人との別れにも似るのかもしれません。