みのる:揚句の季感は夏でしょうかそれとも春でしょうか? じつはそこが鑑賞の別れ道です。使われて入る季語が「夏」だから夏の句と決めてしまうのは 早計です。「夏来ると」は、すでに来ているのではなくて、もうすぐ夏がやってくる…ことを暗示していると解するとこの句の季感は晩春ということになります。まもなく盛夏がやってくる…と解せば初夏の句ということになりますが、どちらのほうが詩情があるでしょうか? 正解は無いのですが私は前者だと思ってみのる選に採りました。「季語=季感」とは限らないことを学びましょう。つまり俳句は季語云々ではなくて季感なのです。

康子:夏はフルーツでもサラダでもガラスの器に乗せることにより涼を感じます。作者は夏に向けてガラスの器を用意している。白く濁ってきていることに気づき布巾で磨いている。「磨きあげ」の動作によりピカピカになったガラスが浮かび、夏への期待やご家族への想い、さらにはガラスの器に乗せたフルーツやご家族の喜ぶ顔までが浮かんできます。主婦業に追われているとなかなか磨き上げることには至らないのでその発想も浮かびません。作者の穏やかで温かいお気持ちが伝わりました。

えいいち:初夏の日差しを浴びながらガラスの食器をキュッキュと磨き上げている作者の姿が目に浮かびます。涼しそうで、美味しそうで、楽しさを感じます。作者の厨の句を読んでいると、浮かんで来る台所は猫も勝手口もお料理上手の舟さんもいるテレビ漫画サザエさんの家の台所です。そこで楽しそうに仕事している作者の姿がいつも浮かぶのです。

澄子:御句全体から初夏の光そのもののキラキラした感じ これから盛夏に向かう漲った感じが溢れています。食卓の涼しさを演出するため これから硝子の器の出番はどんどん増えてゆく……お手入れに余念のないお料理上手 もてなし上手の作者の姿 幾つかの磨き上げられた硝子の器が浮かびました。

かえる:夏とガラスの食器は相性がよく、盛り付けを涼やかに演出してくれ、季節感が抜群です。これまでの合評の句からも、作者は細やかな神経の持ち主で、主婦として極めて優秀なことが伺えます。そんな作者が夏到来の気配に心を弾ませて準備を整えているのでしょう。また、詩的な表現を用いず、ストレートにガラスという言葉を選択されていることで、よそいきの畏まった準備ではなく、家族の日常の夏拵えの雰囲気が漂います。

むべ:身辺句ながらとても印象的です。ガラスの器とは、たとえばお素麺や冷やし中華を入れるパスタ皿、サラダボウルやお刺身を盛り付ける小鉢など。作者はおそらく料理上手、もてなし上手であったことでしょう。涼しげな食卓を演出する食器の準備に余念がありません。上五「夏来ると」に、気温や湿度の高くなりつつある季感を感じ、同時にあんな料理、こんな料理にトライしてみよう!という作者のウキウキした気持ちも感じました。また、玻璃ではなくガラスとカタカナを用いたことで、硬質の涼しさを表現しているように思いました。