えいいち:この句の語順が興味深いです。倒置法?というのでしょうか、話し言葉でいうと「べんがら格子からの三味の音がすずしいわ」となるように思うのですが「三味の音の涼し」という措辞が先に来ているので「三味の音がすずしいわあ~」という作者の感動がまず強く伝わります。その後に「べんがら格子より」とくるのでべんがら格子自体をどうだというのではなく、「今私はべんがら格子のある古都に居るのよねえ~~」とでも言っているような旅情にしたっている作者自身の様子を強く感じました。

康子:「音涼し」を上五や下五にした場合と比較して読んでみると、掲句は「べんがら格子」の絵が鮮明に映り、その奥から微かに三味線の音が聞こえてくる状況が浮かびます。それにより京町家など伝統的な木造家屋が立ち並ぶ路地を歩いていることが分かります。末尾の「より」により漏れくる三味線の音に風情を感じ、季語「涼し」により夏の暑さや三味線の音の清々しさ、そしてべんがら格子の木の涼しさも伝わります。三味線のお稽古をするお宅を想像しました。

澄子:紅殻格子は鉄分を含んだ赤みがかった塗料で塗られた町家や民家の格子の総称です。例えば旅先見知らぬ路を日が落ちて夕涼みがてら散策していると ふっと何処からともなく聞こえてくる三味線の音……あぁ、あのべんがら格子の奥からか………そんな旅情溢れる場面が浮かびました。悠長で間合いの絶妙な長唄なんかだとより雰囲気が。運河添い風に揺れる柳が風情ある岡山倉敷を思い出しました。そこで確かにこんな風景に出会ったことがあるような気がします。 

かえる:べんがら格子は、外から中は見えにくく、中から外は案外よく見えるそう。通りかかったひとが、三味の音にキョロキョロする様を奏者は悪戯っぽく見ているかもしれません。涼しとあるので、熱の入った演奏というよりは、一杯やって気分が乗ってさらりと弾いている感じ。音色が軽やかなのでしょうから、奏者は若い女性かな。夏の夜の気配がします。なんとも粋な描写です。

むべ:「べんがら格子」から、やや黒みがかった紅い格子のある町家のような場所を通りかかり、格子の中から三味線の音が聞こえてきた…というシチュエーションかと思います。三味線は、近年の若いアーティストの挑戦は別として、もともと長唄や地唄の伴奏楽器。唄とセットという特質を考えると、掲句には言及されていませんが、もしかしたら唄も聞こえているのかもしれません。熱の入った特訓というよりは、さらりと音合わせのために弾いている、そのような気がします。作者のいる屋外は暑いのですが、肩の力の抜けた音に、ひと時の涼しさを感じたのではないでしょうか。