みのる:明るい日差しの中に朱塗りの大鳥居、山門、本殿などが眼前に見えているという大景がありきです。そこへ突然風花が舞い始めました。その情況を絵に描いてみましょう。白く舞う風花を点描のように写生したその奥に朱塗りのそれらが泰然として立っている。純白と朱とのコントラスが美しい一幅の絵を想像できないですかね。「しょうごん」という言葉を使ったのは泰然とした宮の大景に神さぶ雰囲気を感じたからではないかと思います。

えいいち:この句を読んで無条件に心打たれる美しい光景・・というのは私には思い浮かびませんでした。風花の降る様子は奇麗な白雪であろうと自ずの影を引きながら落ちてくるようで心残りのような寂しさを感じます。丹塗りの朱色は鮮やかさの中に艶消しのどことなくすみを感じ永い時の隔たりを感じます。このような光景を見た時の私の心情は感動ではなく深い感慨でした。

澄子:拝謡しなんと色鮮やかな御句であることか…………バックの空の青、古から受け継がれた丹の赤に塗られた どっしりとした宮、絶えず表情を変える風花の白……風花はちらほらと風に乗り何処からともなく舞い落ちる…そんな控えめ儚い印象ですが 作者は一瞬まるでお宮を目がけたかのような沢山の風花を御覧になったのだと想いました。お宮が風花によってまるで美しく厳かに飾られたそんな一瞬を「荘厳す」とお詠みになられたのかと。目にしたお宮の景は 天空からの散華のようにお感じになられたのかもしれません。一寸非現実的でシュールな美しさに 人智を越えたものを感じました。

かえる:個人的な解釈ですが、荘厳す、という言葉のイメージはどちらかというと黄金のような煌びやかさです。なので、紅葉はぴったり。でも儚げな風花と荘厳すはほんの少ししっくりこないようにも感じました。とはいえ丹塗りと風花で織りなす紅白はさぞや厳かで美しかろうと思いますし、作者の感動は強く共有します。一瞬を切り取って絵にする力量は、いつもながら感服いたします。

むべ:丹塗りの宮というと、平安神宮とか春日大社とかを想像してしまいます。中国では崇高で権威の象徴のような色なので、宮があるだけでもすでに恭しいのですが、そこに風花が舞い散る様は、本当に美しい光景なのでしょう。「荘厳(しょうごん)す」という仏教用語を初めて知ったのは「紅葉且つ黄葉御座所を荘厳す」という御句でしたが、仏像やそれが安置された場所を美しく飾りつけ、徳の高さを飾りによって表現することだそうです。丹塗りだからこそ風花が目立ち、社殿がより一層ゴージャスに見え、作者は感動したのではないでしょうか。

康子:「風花」なので晴れた日にひらひらと雪が舞い落ちている。空の青さと丹塗りの赤、そして風花の白、その取り合わせがなんとも美しい景色です。風花がお宮を厳かに飾り付けているようだ、という意味の「荘厳す」と解釈しました。風花の儚さも感じます。ほんの一瞬の、その自然の美しさに感動している作者のお姿が浮かびました。