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このページは、2002年に編集したものです。GHが今日まで継続できたのは、多くの人の祈りと協力による支えがあったからです。
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5月10日はゴスペル俳句の公開記念日です。 2000年5月10日が記念すべき発信の日なので、二周年記念ということになります。
ゴスペル俳句は管理人の予想を遙かに越えて膨張してきました。昨今はさらに拍車がかかってどんどん加速している感じもあります。嬉しいと言うよりちょっと怖い感じさえするのです。
公開後の道のりは決して順風満帆ではありませんでした。管理をしてきたのは私ですが、サイトを支え育てて下さったのは参加者のみなさんです。素晴らしいご縁を与えて下さった神様に感謝します。
じつは、ホームページ開設以来ずっとシークレットにしてきたことがあります。 それは結社の中で、それなりの評価を得ていた私が、どうして結社を離れてこのようなホームページを運用しているのかと言うことです。
俳句のプロでもない私が何故に主宰まがいの行為をしているかと言うことに疑問を抱いておられる方は多いと思います。インターネットは公共広場なので、その全てを書くわけには行きません。でも、こんな私を信用して一年以上もつきあって下さった支援者の方々に対して、ある程度の真実を証しすることが礼儀だと思いました。
私が結社を離れたのは、いくつもの理由が複合しています。結社に迷惑をかけることは本意でないので詳しくは書けませんが、なぜゴスペル俳句なのかと言うことについてお話したいと思います。
結社に入会したのは1985年の秋、41歳のときでした。 どうせ1年も続かないだろうと冷やかし半分だったのです。 ところが先生がクリスチャンであることがわかってからは嬉しくなって、導かれるままに必死に特別訓練を受けました。
1週間に1、2度、多いときは3度、返信用の封筒を同封して先生の添削を受けるために句稿を送り続けました。 1回に送る句の数は平均20句。1ヶ月平均200〜300句は送ったと思います。 これが5年ほど続きました。先生から送り返されてきた添削用紙の嵩は1メートルくらいあって、いまも残っています。
GHで添削指導の真似事ができるのはこの体験があるからです。
60歳代が中心の結社の中で当時41歳といえば青年扱いです。 先輩の方々からもかわいがられ、句会や吟行のお世話のほか、 結社の事務的なお手伝いなどを喜んで奉仕していました。
段取りや事務処理は私にとっては、さほど苦にならない仕事だったので、 先生や先輩の方々への恩返しだと思って一生懸命やりました。 ある日先生からのお手紙に、次のようなことが書いてありました。
あなたの奉仕の姿勢には感心します。 私も、キリスト教の奉仕の精神で俳句の指導にあたっています。
当時の先生の俳句指導は全くの無料奉仕でした。 この先生の言葉に感動した私は、自分も将来、俳句を通して社会に奉仕できるような働きをしたいと祈るようになったのです。
先生の特訓を受けながら結社での成績は見る見る向上していきました。普通の人の10倍近いペースで先生の指導を受けているのですから当然といえば当然ですよね。
でもこの間、上達したいという思いは強くありましたが、有名になりたいと思ったことは一度もありませんでした。
成績が上がるにつれて先生から特別扱いを受けていることに何となく後ろめたさを感じるようになり、また結社の人数も急増して先生も多忙になられたので、いつの間にか添削指導を受けなくなっていました。
いま振り返ると、私の進歩もそれ以来止まってしまったように思います。(*^。^*)
結社に所属した15年あまり、俳句を通して得た最大の財産は素晴らしい人間関係でした。
会社人間であった私は、仕事を通しての人間関係に何度もつまづいていました。自分自身も知らず知らずに多くの人を傷つけたと思います。どうしても利害が絡むので結局心を開いてつきあえる人はそれほど多くないのです。
でも、俳句のつき合いは違いました。たとい初対面の人であっても、誌上で俳句を拝見していますから、○○さん・・と呼び合えば、まるで昨日の知己のような感じで心おきなく話しが弾むのです。
自分自身のわがままもあって結社を離れた今も、みのるさん・・と存問の便りや電話をいただきます。涙が出そうになるくらい嬉しいです。この人間関係は私の宝物です。
結社を離れる数年前から、いろんな問題が私を悩ましました。
阪神淡路大震災以降はそれまではマイペースでこなせた会社の仕事も超多忙になりました。バブル景気のはじけたことも併せて、俳句のために時間を割くのはかなり制約が出てきたのです。
それでも自分のライフワークから俳句を取り上げたら全ての支えを失うような錯覚があって、なんとかやりくりしては今まで通りの俳句生活を続けようと頑張りました。
でもそんな無理は長続きしませんでした。あまりにも俳句生活を優先しすぎたために、仕事や信仰生活(教会活動)にしわ寄せが行き、そのつじつまを合わせるために偽善的に振る舞っている自分自身がいやになったのです。
この時点では、結社内で自分が担当する種々の事務責任も大きくなっていました。 この責任を投げ出して、投句だけを続けることは無理だと考えていたので、結社を離れることは俳句活動もやめることだと認識していました。
作句をあきらめることは自業自得なので割り切れると思いましたが、 私を応援してくださった多くの誌友の信頼を裏切ることが一番つらいことでした。
自分が離れると結社に対して多大な迷惑がかかることも十分承知していました。 それだけに離脱を決断するまでには、1年以上も悩み続けました。
結局、自分や他人には嘘をつくことはできても、神さまを欺くことは出来ませんので、 究極の選択は一つしかなかったのです。
結社の俳句活動を離れたことで、時間的な余裕ができ、それまでもやもやしていた気持ちがすっきりして、会社の仕事に、教会の奉仕にと励むことができました。
というより、それらに一生懸命打ち込むことで、俳句を離れた寂しさや空しさから逃れようとしていたのかもしれません。
震災対策が一段落し、バブル崩壊による不景気も悪いなりに落ちついてきました。時間的な余裕が生まれはじめたので、前から興味のあったパソコンやインターネットの勉強を始めたのです。
元来何事にも凝り性な私は、インターネットの世界にのめり込んでいきました。俳句のことはもうすっかり忘れていたんです。
そんなある日俳句結社の大先輩から、仕事も落ち着いたのなら結社に復帰するようとのメールが届きました。でも、私にはその気はありませんでした。
というより、余生のライフワークとしての新しい世界を構築する構想が芽生え始めていたからです。
つまり、それが「ゴスペル俳句の世界」だったのです。
当然のことながらこの活動は結社の一員としての立場と両立することはできません。初心者の俳句指導はとてもエネルギーのいることです。でも私の学んだ先生はこれをキリスト教の奉仕の精神で無償で与えて下さったのです。
私は神様に祈って自分の進むべき方向を探りました。自信などかけらもありませんでしたが、神様の導きを信じて舟を漕ぎ出すことにしたのです。
とにかくキリスト教の奉仕の精神で敷居の低い俳句サイトを実現したいと祈り、 「ゴスペル俳句の世界」 という小舟を漕ぎ出しました。
しかし、「俳句初心者のために・・」という思い上がった力みが参加者との誤解を生じ、忽ち沈没しそうになりました。
「ゴスペル」という福音的なタイトルのゆえにサタンの働きをもっとも警戒していた私は、 必要以上に神経質になっていたのです。なんとか自分の頑張りで立て直そうと必死に舵をとりましたが、 全てが悪循環して行き詰まってしまい、何のためにこのサイトを立ち上げたのかその目的すら見失ってしまいました。
そんな状況をいち早く察知したクリスチャンサイトの仲間たちが私のために祈って下さったのです。
みなさんのお祈りで冷静さを取り戻したとき、 自分の頑張りでサイトを運営しようとしていた間違いに気づかされました。そして全ての企ての原点に祈りが必要なこと、全能者である主にゆだねることの大切さを改めて学ぶことが出来ました。
「ゴスペル俳句の世界」というサイト運営の志は、俳句ライフの喜びを伝えるという目的だけではなく、信仰の弱い私を強くするために備えて下さった神さまのご計画だったのです。
GHを開設して半年ほど経ったころ、 サイトの活性化対策について祈っているうちに「毎日句会」の構想を示されました。
毎日句会を立ち上げてからも試行錯誤の日々が続きました。数名の参加者で息も絶え絶え・・という苦難の時に不思議なように救世主のような支援者が与えられ、その後何度も不思議な摂理を感じつつ成長してきました。やがて毎日句会は、すっかりゴスペル俳句の要の存在になって、今日の活況を得るようになりました。
GHを応援して下さるお一人お一人との不思議な出会いには運命的なものを感じますが、まさに神様の祝福としか言いようがありません。ゴスペル俳句物語はまだまだここに書き尽くせないほどのストーリーがあります。でも、一年間私に騙されて下さった方は、よ〜〜く、ご存じですよね。(*^。^*)
”ん!? 知らない?”
そんな方は、談話室の過去ログを1ページ目から読んでみて下さい。 きっと、幸せな気分になれますよ・・(^。^)v おわり
(C)2002 やまだみのる
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