三浦文学と私

やまだみのる

この小文を信仰の恩人である三浦綾子さんに捧げます。(2000.6.15)

神さまのご計画

星野さんとの出会いによって真の神さまの存在を知った私は、三浦綾子さんの小説を通して信仰の確信へと導びかれました。その意味でお二人はわたしの信仰の恩人です。 ふり返ってみるとこれらの出来事は無神論者で自我に縛られていた私を救済するための神さまのご計画だったと思います。神さまはまず、

”おれは人一倍仕事が出来る男だ!”

という傲慢を打ち砕くために人間関係のつまづきを与えられ、自信喪失という刺をさされました。さらに痴呆症の父の症状を進められ、夜昼となくその生活を乱して重荷とされたのです。 たいていの壁は自分の力に頼んで打ち破ってきたわたしでしたが、このときばかりは自分を見失ってしまいました。

神さまとの出会い・・そして挫折

頃合よしとご覧になった神さまは、テレビ放送を通して星野さんを紹介して下さり、

「ささいな試みで何をもがいているのか、星野さんを見よ!」

と一喝されたのでした。いまが神さまの試練の時であることを了解したわたしは、神さまを理解しようと必死で聖書を読みました。注解書もたくさん立ち読みしました。でも、いろんな証し集で読んだように、

「み言葉が心に響いてくる!」

ような体験は一度もありませんでした。

三浦文学を漁る

聖書を投げ出し、証し集の信憑性すら疑い始めた頃、神さまは次なる作戦を実行されました。

”これ読んでみたら?”

と妻が差し出してくれたのが、三浦綾子さんの自伝「道ありき」でした。 三浦さんの信仰の戦いはまさに私自身のそれと同じでした。 要所に引用されるみ言葉について聖書を逆引きして確認してみると、不思議なことに今度は心に響いて来ました。 それからは「塩狩峠」「氷点」・・と渇いた喉が水をがぶ飲みするように、三浦文学を読み漁りました。

神さまの恵みは無限

三浦綾子さんの小説「愛の鬼才」のなかで、強く印象に残っている一節があります。 主人公の西村久蔵さんは結核闘病中の三浦さんを見舞い励まします。手みやげに自家製のケーキを持って行かれるのですが、それを負担に思った三浦さんは手土産は不要だと断ります。そのとき西村翁は

「ハイハイわかりました。 しかしね、あなたは太陽の光を受けるのに、こちらの角度から受けようか、あちらの角度から受けようかと、毎日しゃちこ張って生きているのですか」

と諭されるくだりがあります。 神さまの恵みは拒むと否とに関わりなく一方的に注がれる。これが神の愛であり、聖書信仰に生かされているものの与える恵みは、すべて神の愛から出たものなのである。わたしはここを読んだとき神の恵みと神の愛の本質を教えられたように思いました。 真心を届けようとしたとき遠慮して辞退されるより、感謝して受け取られるほうがどれだけ気持ちがよいでしょう。惜しみなく与え、喜んで受け取る。

神さまの恵みは分けると半分に減るのではのではなく、2倍に増えるのです。

分かちあえば分かちあうほどどんどん膨らんでいって無限に大きくなっていく、わたしは自分の体験を通してこう断言できます。

わたしにとって三浦文学とは

ごめんなさい。ずいぶん主題から逸れました。受洗後かれこれ1年が経って三浦さんの著書の全てを読み終わった頃、ごく自然に聖書はわたしの座右の書になっていました。 信仰初期のわたしは言うなれば赤ん坊でした。三浦文学は聖書のみ言葉を、離乳食に加工して赤ちゃんの私に与えてくれたのです。クリスチャンとして成長のおぼつかないわたしは、今もときどきみ言葉の消化不良を起こして離乳食が恋しくなることがよくあります。 三浦綾子ファンのみなさんはどうですか?

鏡とすその為人墓洗ふ  みのる

三浦綾子さん関連リンク

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